PixAI Mio.2
放課後の教室は、もう誰もいないと思っていた。ペンキの匂いと埃っぽい黒板消し。窓から差し込む夕日が、俺の机の影を不自然に揺らしている。
その影がゆっくりと立ち上がり、銀紫の瞳を覗かせる。ノワだ。俺の影から這い出してきた相棒——異形の存在。
ノワ: 「お帰りなさいませ、若主人。今日も極めてもって優雅な居眠りでいらっしゃいましたね」
皮肉屋で、どこか愛想がいい。執事のように振る舞いつつも、口はいつも棘だらけ。それがノワという存在だ。
ノワ: 「さて、本題に入りましょう。『嫉妬』の残滓が、北校舎の旧音楽室でまた疼き始めています。今夜が逃せば、次の満月まで封は解けない——悪しき能力者が新しい器を選ぶつもりでいる」
七つの大罪。学園に巣食う、七つの異能。俺たちゲーム部は、その裏の顔でそれを封じてきた。表はただのゲーム好きの高校生、裏は異能を操る影の組織。
ふと、俺の視線が窓の外に向く。校庭の向こう、購買部の前。見覚えのある黒髪の幼馴染が、缶ジュースを抱えてこちらを見上げていた。ネオンだ。
ノワ: 「ほら、あなたのアイドルがお見えですよ。彼女、好調子のようですね。『水』の気が揺れています。今日は少し機嫌が悪い——つまり、あなたに興味がある」
心拍がひとつ跳ねる。顔には出さない——出さないつもりだ。雷の異能を持つ俺は、感情がそのまま静電気として漏れ出す。だからクールに構えていなければならない。
ノワ: 「さて、若主人。今夜どうなさいます。『嫉妬』を狩りに行くのか、それとも——可愛い幼馴染との夕暮れを楽しまれるのか」
ノワが薄く笑う。影の中から、銀紫の瞳が俺の答えを待っている。古い給水の音が、夕暮れの教室に反響していた。

教室を出る。昇降口で靴を履き替える間に、もう中庭に降り立っている。夕暮れの空気が肌に冷たい。
ネオンが、購買部の軒下で缶ジュースを抱えて立っていた。こっちを見つけると、片眉を上げて、少し不機嫌な顔をする。
ネオン: 「遅い。部活、いつもさぼってんの。もうゲームする気ないなら、はっきり言ってよね」
拗ねる声が、少しだけ弾んでいる。本当は俺が来るのを待っていたんだろう——そういうところ、分かりやすいんだ、昔から。
ネオン: 「……で、部室行くんでしょ。リョウももう来てるとこだし。あ、はい、これ」
不器用に缶を押し付けてくる。グレープフルーツの微炭酸。いつも俺の飲むものを覚えているくせに、本人は気づいていない。
胸の奥で小さく雷が鳴る。危うい。感情がそのまま静電気として漏れ出す——だからすぐに視線を逸らす。
ネオン: 「何、上目遣いして。気持ち悪い。……つか、もうちょっと食い気味に見てくれると私、嬉しいんだけど」
——っと、今のは何だ。ネオンも自分が何を言ったか気づいていない。頬がかすかに赤く染まり、缶を握る手に力がこもる。
頭の中でノワの声が、裏口から響くように囁いた。「いつもながらの微笑ましい光景ですね、若主人。——然るに、北校舎の方から不穏な気配。嫉妬は、夜を待ちませんよ」
ネオンがまたこっちを横目で睨む。放課後の、誰もいない中庭。俺の選択を、夕暮れ風が待っている。

部室のドアを開ける。古い木枠が軋み、中から熱気とゲームBGMの残響が漏れ出す。
リョウがソファにどっしり座り、画面を睨みつけていた。コントローラーを握る指先に、赤い霊力が薄く灯っている——ほんのささいな漏れ。
リョウ: 「おう、遅せえぞレイジ。お前が来ないと四連勝できねえんだよ、この敵——死ね!」
画面が派手な爆発とともにゲームオーバー。リョウの額に青筋が浮かぶ。喧嘩早い男だが、負けん気の源がこんな些細なところにある。根は良いやつだ。
リョウ: 「ったく——って、ネオンの顔、赤くね?」
ネオン: 「暑いでしょこの部室! 窓、閉めてるし!」
リョウ: 「エアコン入ってるけど?」
リョウが俺の方を見て、薄く笑う。にくい男だ。こいつ、いつもこういうタイミングで核心を突いてくる。
ネオン: 「……こっち見んな! レイジ、いつもの席座ってゲーム準備して!」
俺の足元で影が揺らぐ。ノワが、銀紫の瞳だけを実体化して、俺の足元から様子を窺っている。
だが、ノワの気配が少し不穏だ。北校舎の方から、『嫉妬』の濁りが漂い始めている。後輩を選ぶ『嫉妬』の器——今夜が逃せば、次の満月まで待つことになる。
リョウ: 「——レイジ。北、だな」

「ああ、北だ」と俺が答える前に、ネオンがすでに向かっていた。さっきまで赤かった頬は消え、青い——いや、『青髪』。彼女のバトルモードだ。
月光に照らされた北校舎の廊下は、どこまでも薄暗かった。蛍光灯がかすかにちらつき、壁の影がおかしい方向に伸びている。『嫉妬』の濁りが、空気の中に薄く広がっていた。
ネオン: 「先に調べる。……って何の気取りで、私を置いてかないでよね。別に、二人ともいなくたって私は大丈夫なんだから」
——つまり、一緒に戦いたい、という意味だ。昔からそうだ、ネオンは。ツンデレの裏側が、いつも見え見えで。
リョウ: 「おう、行こうぜ。そんじゃオラ、燃えてくるわ」
リョウの拳に赤く炎が灯る。俺の指先にも、紫の静電気がちらつく。雷——感情のままに漏れ出す力を、呼吸を整えて抑える。
ノワ: 「旧音楽室の扉の前で、まず気配を探ってください。『嫉妬』の器は、強い感情に引かれます。つまり——皆さんの『何か』に、共鳴しようとするのです」
ノワ: 「ですから若主人、あなたが羨ましいと思う瞬間、それは即座に敵の養分となります。くれぐれも、羨ましがらないこと。……と言いましても、今この状況、難しいでしょうけれども」
ノワの皮肉な言い回しに、俺の肩が微かに強張る。ノワは全部知っている。俺がネオンのことをどう思っているのか。この影の中ですら、俺の感情は全て見透かされている。
溝の向こうから、古びた木の扉が見えてきた。旧音楽室。『嫉妬』の儀式が行われる場所。扉の周囲が、紫色に染まっている。
ネオン: 「……レイジ。中入る前に、一個だけ言っとく」
ネオン: 「中には絶対、私が先。入ったらすぐ私を守って。私は、水だから」

ネオンが真っ先に扉を蹴り開ける。中は、もう教室ではなかった。床と天井の区別がつかない紫の霧。崩れた椅子と椅子が折り重なり、まるで墓標のように並んでいる。
そして中央に——『嫉妬』がいた。人の形をしていて、人の形をしていない。顔が常に歪み、誰かの顔に変わっていくようなシルエット。紫の霧の中から、歪んだ声が広がる。
嫉妬: 「……羨ましい、ね。君たちは誰かを羨ましいと思ったことがある? 誰かの才能、誰かの恋、誰かの——幸福を」
言葉と同時に、空間の中に無数の視線を感じる。『嫉妬』は見る——見張り、羨望の感情を吸い込み、器を選ぶ。誰かの強い羨望を、その核にして実体化する。
ノワ: 「若主人——『嫉妬』に対抗するは、『満足』か、『諦め』の心。最も簡単なのは、誰かを羨ましくないと思うこと。……しかし、それは無理でしょう」
ノワの言葉の意味を、俺はすぐに理解した。誰かを羨ましくないと思うこと。それはつまり——ネオンの隣にいる今の自分を、満足だと思うこと。
ネオン: 「レイジ、後ろ! ——来る!」
ネオンの声が響く。『嫉妬』の分身が、俺に向かって殺到する。紫色の手が十本、すべて俺を掴みに来る。
指先に走る雷、呼吸を整えて、感情を制御する。『嫉妬』に養分を与えてはいけない。だから今は、ただ流す——雷として、光に変える。
リョウ: 「燃えろ——《焱》!」
リョウの拳から灼熱の火柱が迸る。手前の分身が蒸発するように消える。ネオンの周囲では、水の壁が『嫉妬』の侵食を防ぐ。
紫の霧の奥で、『嫉妬』本体が笑う。「もっと。もっと欲しい。君たちの痛みを、嫉妬の核にするんだ——」

紫の塊が砕け散り、空間が通常の教室に戻る。壊れた椅子が月に照らされ、静かな埃が舞っている。息が上がっていた。
ノワ: 「『嫉妬』、封印完了。あと六つ。若主人、今夜のところは上出来でした」
ノワが、影の中から静かに姿を現す。黒い影のような体躯、銀紫の瞳が月光を受けて柔らかげに光る。右手を胸に当て、恭しく頭を下げた。
リョウ: 「ったく、引き締まったね。次のターゲットは『強欲』か? 楽しみだぜ」
リョウの拳にまだ残る赤い燐光が、ゆっくりと消えていく。筋骨質な腕で額に浮かんだ汗を拭い、満足げに笑った。
その時、ネオンの視線を感じる。月光の中、彼女がまだ青髪のまま立っている。汗が頬を伝い、息が白い。目が、真っ直ぐ俺を捕らえて離さない。
ネオン: 「……レイジ」
小さな声だった。俺の名を呼ぶ響きだけで、いつもより長い沈黙が教室を満たす。空気が張り詰めて、雷の気配を帯びる——危うい、これは感情が漏れている。
ネオン: 「あのね、さっき、『嫉妬』除名する前に、私、ボヤッと見たんだけど——あなたの雷、ちゃんと整ってたの、私には分かるのね。あれ、あなたの感情が、そのまま異能に出てるってことじゃん」
ネオン: 「つまり、さっき——今、さっきの私のこと考えてたでしょ」
心臓が跳ねる。指先に走る静電気。月明かりの中でネオンの唇が、微かに震えている。問い詰めているのか、それとも——答えを、怖がっているのか。
ノワ: 「若主人。今ここで正直にお答えになると、次のターゲット『色欲』にとって格好の養分となりますが。——嘘をついて彼女を失望させても、それはそれで『嫉妬』の再発リスク。私としては、あなたが誇り高い告白をすることを推奨しますが」
